愛知県刈谷市にかつて「依佐美送信所」(よさみそうしんじょ)と言う施設がありました。この施設は大電力の長波送信所として建設され、当時国際通信に画期的躍進をもたらしました

明治以来、日本の対外通信は欧米の所有する海底電線によらなければならず、外交上・通商上の不利益をもたらしていました。こうした見地から、無線通信による国際通信の整備が提唱され、大正14年3月帝国議会において「日本無線電信株式会社法」が成立し、世界の主要地域と直接無線通信のできる施設を建設することになり、対欧送信所は依佐美に、受信所は四日市に設けられられることとなりました。

送信所にはドイツ製テレフンケン式長波送信装置と高さ250メートルの当時東洋一の高さを誇る鉄塔8基に懸架した壮大なアンテナが設置されました。アンテナ電力500キロワットは長波としては世界最大のものでした。

鉄塔と送信所建設に要した資材の量は7万トン。これを運搬するため三河鉄道小垣江駅から建設地付近まで臨時に専用引込線が布設されました。
昭和4年全ての工事が完成、日本とヨーロッパ間の直通通信が開始され、外交上・通商上、画期的な躍進を遂げました。

第二次世界大戦中、長波の送信施設は日本海軍の運用に委ねられ、終戦を迎えてからは在日米国軍に接収され、平成6年東西冷戦の終焉により全面返還となりましたが、平成9年にアンテナ、鉄塔が撤去されれました。

こうして70年にわたって三河平野にそびえ立ち、地元の象徴として親しまれてきた鉄塔もその使命を終え、姿をけしました。

現在は、当時の雄姿を留めるものとして、実物の10分の1の高さ25メートルに短縮し、隣に記念館も建てられ刈谷市によって保存されています。

22年前、私が三河にお嫁に来て初めて鉄塔を見たとき、あまりの巨大さに驚きました。と同時にあのような巨大なものが自立していることの不思議を感じました。

今は色々なものが進化し、何でも合理的になり、便利になっています。見た目にレトロを再現する技術も相当なものだと思います。でも、本物の持つ歴史にはどんな物もかなわない事もあります。残せるものがあるのなら是非、再生したいですね。